メンズ・プレイヤー・サミットを振り返って(2000年)

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」 ヤコブの手紙5:16

この数年、関東では奥多摩、西日本では蒜山で、JEMA主催のメンズ・プレイヤー・サミット(祈りのサミット)が行 なわれてきました。皆様方の中には既に参加した方の感想や証しを聞いた(ことがある)方もおられることでしょう。私の場合はそれを聞いた時、「まあ、その 人にとってはいい経験だったとしても、私は家族や仕事を4日間も離れるなんてとても!」と考えました。私と同じような思いを持たれた方もきっとおられるこ とでしょう。

しかし、1999年の春に、神の恵みによって4日間の時間が与えられ、私は初めてプレイヤー・サミット・祈りのサミッ トに参加することができました。素晴らしい経験でした!それで、次の春も、私は4日間を優先的に計画して、岡山県の蒜山バイブル・キャンプでのプレイ ヤー・サミットに2回参加することができました。そこでの豊かな時間の中で神様を豊かに知り、また、他のクリスチャンとの交流ではお互いをより深く理解す ることが出来るようになりました。ですから、次回はもっと多くの方に参加して頂ければと願わされている次第です。

プレイヤー・サミット(祈りのサミット)は「変貌山のような経験」であると言われたことがあります。簡単に説明すれ ば、プレイヤー・サミットとは、宣教師や牧師が普段の奉仕や責任をしばらく離れ、神とだけの時間を過ごすための4日間です。祈りについて話すことよりも、 実際に祈ることに重点が置かれています。私の2回のプレイヤー・サミット(祈りのサミット)で体験したことは、それぞれ内容は違ったものでしたが、他の参 加者と一緒に、朝、昼、晩の祈りの時間を持ったことが共通していました。そこでは共に、御言葉を声出して読み、神を礼拝し、御前に沈黙を守り、賛美の歌を 歌い、また「神の御前にただいる」という時間を持ちました。

日本にいる外国人として、のこういう経験は貴重なものです。参加する人が、どれほど小さい存在と感じていても、神様は 私たちを愛し、ご自分の栄光ある御前に歓迎して下さいます。そして、その御前で、私たちは励まされ、癒され、新たにされ、矯正され、赦され、そして、神と 神の民との交わりを通して、祝福を受けるのです。さらに、神様は団体、背景、言葉を超えてご自分を表わして下さいます。そして、それぞれ自身に対して、ま た対人関係において、牧師・宣教師(として)の日本での働きに対して新しい観点を与えて下さいます。また、これらの祈りの時での交わりは一緒の食事また自 由時間へと広がり、遂には毎晩の主の晩餐を共にするという一番素晴らしい時を迎えるのです。

このようにグループで過ごす時間のほかに、個人的に神に話し、御声を聞くことにより、人生や対人関係などの問題点が指摘され、対応法も教えられる「ブッシュ・タイム」の時もありとっても有意義です。

教会のいわゆるリーダーである私たちはよく、祈りの大切さについて語りますが、実際祈る時間をなかなか取りません。私 の場合は、この毎春のプレイヤー・サミットでこの傾向は修正されるようになりました。ある同僚の宣教師は、プレイヤー・サミット(祈りのサミット)は1年 に1回の「霊的点検」であると表現しています。実際、プレイヤー・サミット(祈りのサミット)の参加者は、毎春4日間を神様に捧げることによって、自分の 祈りと祈りに対する態度がいい方向へと変えられた体験をよくしてきました。

この前の蒜山でのプレイヤー・サミット(祈りのサミット)の最後に、サミットに関するコメントや感想を書く時間が与えられました。その時の素晴らしい証しをお読み下さい:

 この数日間、神様が私をより近くに呼び寄せて下さいました。毎日のように、 神が私の行くべき道を照らして下さ いました。さらに、神は私と出会って下さ り、共に歩んで下さり、私に耳を傾けて下さり、私の一番深い必要を満たして 下さると言う新たな希望が与えられ ました。

今週、神様は本当に良くして下さいました。神の御前に出て、神の民と交わるために割いたこの時間は素晴らしかったです。神がここで教えて下さったことは私のキリストにあっての成長をより安定したものに役立つと思います。

神がご自分に対する愛を新たにして下さいました!神がご自分の赦しを見せて下さり、誘惑や罪に対して、力を与えて下さいました。神様と日本の人々に対して、今まで以上の情熱を下さいました。

〔プレイヤー・サミット(祈りのサミット)で学んだ点〕
1.神との交わりをグループとして深くできたこと
2.祈りのリスポンスで共に祈る方式
3.聖餐式の三様式はワン・パターンからの脱出に有効
4.プログラムなしの集会形式はⅠコリント14:26の実践

メンズ・プレイヤー・サミットで、神はどのように人々をご自分に近づかせ、私たちが日本各地のそれぞれの奉仕に戻り、 より効率的に主を崇め、主に仕えるようになるかを少し理解できれば幸いです。かつて私が思っていたように、奉仕や家族を離れる時間が割けられないと思われ るかもしれません。しかし、もしかして、神と神の民とのこの時間を過ごさない訳にはいかないかもしれません。少なくとも、祈りのサミットは有意義な時えあ ることを確信しています。

マイケル・レサドクルストン

(カナダから来たマイケル師は兵庫県西宮市に奥さんのウェンディーさんと2人の子供さんと一緒に住んでいました。マイケル師は1995年3月から2005年8月まで、関西学院で宣教師/教授として務めていました。)

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