2007年・西日本 祈りのサミットの写真

2007年に、聖霊に導かれた要点は一致で、牧師たちやリーダーたちが教派の違いを忘れて一緒に神の御顔を求めている姿を見て、励まれていました。

重荷を負っていた兄弟のために祈っている数人

重荷を負っていた兄弟のために祈っている数人

SLT祈り

新しいしもべリーダーチームを選ばれてから、皆さんがそのチームのために祈っている

皆さんのグループ写真

皆さんのグループ写真

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2005年のサミットからの証し

都会にあるもろもろのものから離れて、同じ思いをもつ兄弟達と一緒に神に集中できることは素晴らしかったです。私はとても励まされて、とてもチャレ ンジを受けて、帰ることになります。チャレンジとは:どのように神に焦点を合わせ続けることができるかということです。毎日の気の散らすものや試練の中 に、どのように神中心に留まることができるかということです。

その答えは簡単ですが、大変なことでもあります:もっと祈ること、もっと祈ること、もっと祈ることです。主イエスが私と助け下さり、これを毎日、いつも現実のものにできますように。

(アメリカ人宣教師)


神はここにいました。聖霊の導きによって、神が働かれるために、十分な時間がありました。この場所はいい場所で、静 かで、空気がきれいで、大自然に囲まれ、私をリラックスさせるのによくて、神の御前にいて、神のご臨在を感じるたくさんの時間を過ごすのに適している場所 です。全体的に、サミットを楽しみました。私は神と一緒にいることを楽しむために来ましたし、それが確かにできました。

(ニュー・ジーランド人宣教師)


私にとって一番有益だったのは他のクリスチャンとの交わりだったと思います。正直に言いますと、主との一番貴重な時は 私が一人で散歩に行ったり、ジョギングしたり、山登りする時でした。一回、セッションの後、10分くらいの「祈りの昼寝」を取り、私が前から悩んでいた精 神的な痛みを神に分かち合う機会となりました。それ、今回のサミットを通して学んだことは、「かの椅子」に座らずに、神からの「お父さんの愛」を受けるこ とができたことです。

私は本当にリフレッシュしていて、ここで多くの良いコンタクトを作ることができて、喜んでいます。関西に戻り、これら のコンタクトを続け、祈りの交わりを通して、ともに協力し合うネットワークを続けたいと思います。 私はずっと信じてきたことは、クリスチャンの共同体を 作り、それに参加することは教会全般、そして会員一人一人の霊的健康のために、極めて重大なことだと言うことです。IRMは教会を強めるために、大切な役 割を果たしています。この祈りのサミットを通して私は、すべてのクリスチャンが神に心からささげ切るができるように、心から思うようになりました。

ここで過ごした時間が私の新婚生活を強めることを疑いません。感謝です。

(アメリカ人宣教師)


  • このサミットを本当に感謝します。
  • 主はこのサミットの会を用いて、もっと幅広い霊的な動きを始めさせ、教会も個人も覚醒されるようになることを確信しています。日本にある神の教会で。
  • 特に感謝したいのは良い指導、霊に満たされた聖餐式の時、人々が個人的に 主の前に出られたこと(「椅子」の上で)
  • 私達はこのよう集まりをもっと多く経験できることを願っています。
  • しかし、興味ある人々が大勢で4日間を犠牲にするのは難しいでしょう。サミットとサミットの間に何かできないか祈りましょう。
  • 時々、もうちょっと「形」のあるものあったらよかったと思います。聖霊が私達を通して動かれることを 確信していますし、いつでもどんな状況においても、ご自分の「油注がれた道具」として用いようとしておれると思います。しかし前もって、どのような「形」 になっているかをもう少し理解できたら、会の準備がもっとできたと思います。「神のご計画の祈りの準備」がここでも、家に戻ってもうたい文句になれるで しょう。

「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」

(ドイツ人宣教師)


今年のサミットは今までのサミットほど「変貌山の経験」に感じませんでした。その理由として、私は日々神のご臨在を楽 しむように学んでいるからだと思います。しかし、神がどれほど私を励まして下さり、私の思い、感情、経験をすべて神の御手に完全に委ねるべきであることを 再認識をさせられたのです。 過去のサミットでは、私は神に委ねたいある特定の個人的な霊的重荷を持って臨みました。しかし今年では、私はやっとこのよう な祈りの運動が自分の町で行なわれればいいと思うようになりました。

年中の「フレッシュ・エンカウンター」で経験する交わりによって、サミットでは集中が遂げれない、深い主の交わりにつながったことは嬉しいことです。

(アメリカ人宣教師)


今年は、去年の2倍の参加者がありました(ファシリテーターを除く)。神の恵みを褒め称えます。十三でのフレッシュ・エンカウンター(2ヶ月に1回の神との時間)が定着したのが大いに影響していると思います。

個人的に、肉体的、霊的、感情的、精神的リフレッシュできた時間でした。主が特別な形で私達と一緒いることを感じまし た。グループのほとんどが前にサミットまたはフレッシュ・エンカウンターの経験があったので、早く礼拝の姿勢に入ることができたと思います。私達が3日目 までずっと神の御顔を求め続けることができて、驚きでした。

私が「かの椅子」で神の「ひざ」に座った時に、神に自分の思いを注ぎ出した時、神が特別な形で私に迫って下さいまし た。そして、主の恵みにより、兄弟全員が私のために祈りまたは一緒に主のみ前に立って下さいました。その後の抱き合う時は天国の前触れしか言いようがあり ません!神が徐々に私にどのように息子に対して父親に本当になれるかを教えて下さっています。

聖餐式も特別でした。私の教会には会員がありませんので、聖餐式を行なっていません。それで、毎年、この時が私にとって本当に特別な時です。主の恵みと哀れみ、主の御守り、主の優しく導かれる御手、主のご臨在を感謝します。神がいらっしゃるからこそ、私達が来ています。

主の御備えと御導きのために主の御名を称えます。

(アメリカ人宣教師)


今回、来る前に、忙しさと自分のしたい事で、主の前に出て、祈り、主との交わりがもてずにいる自分に少しいらだちとな んとしなければと思いつつ、なかなかできずにいました。やはり、祈りのサミットに出て4日間もすべてを捨てて、主の前に出て祈ることをさせて下さり、この サミット中に、ことごとく、主は私の必要としている事をすべて答えて下さいました。1週間の中に火曜日の午前中、主との交わりの時を持つこと、時間をとる こと毎日のディボーション、家内との祈りをするという軌道修正を早い時に示され、決心できました。本当に感謝です。

また、聖餐式の要素で、愛ということを以前から示されていたのを再度確認させて頂き、家内との間で問題としていたこと が、解決され、主が私にとって、ことごとく必要なことを教え示した時も適切に示して下さる主に深く感謝いたします。また、主の弟子としてのあり方、祈り合 うということで再度教えられました。

(日本人牧師)


1.5回目の参加の中で最も充実したものになりました。

2.神の臨在が、期待としてでなく、現実のものと体験できました。

3.地域の準備が有効に機能し、集会参加を促した。

4.説明できない参加して実体が理解できることが実証されました。

5.主の働きは人がするのではなく、聖霊が排他的に実現され、私達は主の業の賛美者となることが目的である。主エジプト記14:13,14「主が戦われる」

(日本人牧師)


神様のみ顔を求める事がどれほど大事であるかを知るようになりました。また、聖霊様が働いて、祈る楽しさを味わうことができたことが一番感謝です。

具体的には、本当の意味で日本を祝福し、愛することができるようになりました。私は韓国人で、今まで心の深いところで日本を愛する事、または許す事ができなったのですが、二日目の夜、日本を心から許し、祝福し、愛しますと告白できたことは何より感謝です。

三日目の夜、私はここで祈るだけでしたが、神様はうちのティームから勝利の知らせを下さいました。三日間の間、チェッ クできなったメールを読みました。大阪大と関西大から4人の学生がイエス・キリストを自分の救い主として受け入れたと言う知らせでした。一昨年と昨年、年 間の間十数名の学生がクリスチャンになったことも感謝ですばらしいと思いましたが、三日間で4名も別々の所でうちのティームの働きをとおしてクリスチャン になった事は神様が起こして奇跡でした。私が働かなくても祈る間、神様はご自分の働きをなさすばらしい経験できてよかったです。

うちに帰って、まず妻とこの祈りをはじめたいと思います。あとは、うちのティームにもうつしてこの祈りを続けていきたいと思います。

(韓国人宣教師)


久しぶりにこの長い祈祷会に参加できてとても助けになりました。色んな方と一緒に祈るのは助けです。同じような悩み― 家族、教会指導、人間関係―の様々なことが起こっています。みんなが神様の助け、救い、福音が必要です。教会が祈る教会になって、賛美する教会、神様を求 める教会になれば、色々が変わります。

自分がすべてをコントロールしたいので、神様に任すことは難しいです。神様のしもべになりにくいのです。自己中心ですから。それで教会がだめになります。自分、そして教会が変わるように、お祈りをお願いします。

(アメリカ人宣教師)

2004年のサミットからの証し

今回は2度目で、牧会者である私が、また他の先生たちが変わる事、と思いながら参加させて頂きました。文字通り主は生きて働かれ、示された通り、私 自身、家族の事の癒しと、自らを気づかされ、悔い改め、それ以上に、主の赦し、イエス様の十字架の完全な癒し、赦すために主は罪を指摘し、さばかれる事、 を示され、十字架の贖いの意味を教えられたことは、大きな意味がありました。ハレルヤ。感謝します。

(日本人牧師)

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1.参加について

今まではPassiveな参加でしたが、今回からもっとActiveになりたい願いがありました。

2.悔改め

個人的な悔改めの告白の導きに対して、特にイザヤの召名の時のように、唇のけがれを自覚し、そのきよめを願い、また怒りがよく起こるので、魂の平安を祈りました。

夫婦の関係が特に教会奉仕優先で疎遠、愛の欠如を痛感し、一体を再現できるよう悔改めと告白に御霊の導きに従う決心をしました。

3.祝福

教会の特別会計処理に不正があるのを黙視したので、その罪が表面化し、教会が破綻の危機に陥っているが、これが神の栄光のうちに解決されるとの確信と支えは祈りのサミットの交わりの中から与えられている、また教会への愛の祈りを強められました。

(日本人牧師)

メンズ・プレイヤー・サミットを振り返って(2000年)

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」 ヤコブの手紙5:16

この数年、関東では奥多摩、西日本では蒜山で、JEMA主催のメンズ・プレイヤー・サミット(祈りのサミット)が行 なわれてきました。皆様方の中には既に参加した方の感想や証しを聞いた(ことがある)方もおられることでしょう。私の場合はそれを聞いた時、「まあ、その 人にとってはいい経験だったとしても、私は家族や仕事を4日間も離れるなんてとても!」と考えました。私と同じような思いを持たれた方もきっとおられるこ とでしょう。

しかし、1999年の春に、神の恵みによって4日間の時間が与えられ、私は初めてプレイヤー・サミット・祈りのサミッ トに参加することができました。素晴らしい経験でした!それで、次の春も、私は4日間を優先的に計画して、岡山県の蒜山バイブル・キャンプでのプレイ ヤー・サミットに2回参加することができました。そこでの豊かな時間の中で神様を豊かに知り、また、他のクリスチャンとの交流ではお互いをより深く理解す ることが出来るようになりました。ですから、次回はもっと多くの方に参加して頂ければと願わされている次第です。

プレイヤー・サミット(祈りのサミット)は「変貌山のような経験」であると言われたことがあります。簡単に説明すれ ば、プレイヤー・サミットとは、宣教師や牧師が普段の奉仕や責任をしばらく離れ、神とだけの時間を過ごすための4日間です。祈りについて話すことよりも、 実際に祈ることに重点が置かれています。私の2回のプレイヤー・サミット(祈りのサミット)で体験したことは、それぞれ内容は違ったものでしたが、他の参 加者と一緒に、朝、昼、晩の祈りの時間を持ったことが共通していました。そこでは共に、御言葉を声出して読み、神を礼拝し、御前に沈黙を守り、賛美の歌を 歌い、また「神の御前にただいる」という時間を持ちました。

日本にいる外国人として、のこういう経験は貴重なものです。参加する人が、どれほど小さい存在と感じていても、神様は 私たちを愛し、ご自分の栄光ある御前に歓迎して下さいます。そして、その御前で、私たちは励まされ、癒され、新たにされ、矯正され、赦され、そして、神と 神の民との交わりを通して、祝福を受けるのです。さらに、神様は団体、背景、言葉を超えてご自分を表わして下さいます。そして、それぞれ自身に対して、ま た対人関係において、牧師・宣教師(として)の日本での働きに対して新しい観点を与えて下さいます。また、これらの祈りの時での交わりは一緒の食事また自 由時間へと広がり、遂には毎晩の主の晩餐を共にするという一番素晴らしい時を迎えるのです。

このようにグループで過ごす時間のほかに、個人的に神に話し、御声を聞くことにより、人生や対人関係などの問題点が指摘され、対応法も教えられる「ブッシュ・タイム」の時もありとっても有意義です。

教会のいわゆるリーダーである私たちはよく、祈りの大切さについて語りますが、実際祈る時間をなかなか取りません。私 の場合は、この毎春のプレイヤー・サミットでこの傾向は修正されるようになりました。ある同僚の宣教師は、プレイヤー・サミット(祈りのサミット)は1年 に1回の「霊的点検」であると表現しています。実際、プレイヤー・サミット(祈りのサミット)の参加者は、毎春4日間を神様に捧げることによって、自分の 祈りと祈りに対する態度がいい方向へと変えられた体験をよくしてきました。

この前の蒜山でのプレイヤー・サミット(祈りのサミット)の最後に、サミットに関するコメントや感想を書く時間が与えられました。その時の素晴らしい証しをお読み下さい:

 この数日間、神様が私をより近くに呼び寄せて下さいました。毎日のように、 神が私の行くべき道を照らして下さ いました。さらに、神は私と出会って下さ り、共に歩んで下さり、私に耳を傾けて下さり、私の一番深い必要を満たして 下さると言う新たな希望が与えられ ました。

今週、神様は本当に良くして下さいました。神の御前に出て、神の民と交わるために割いたこの時間は素晴らしかったです。神がここで教えて下さったことは私のキリストにあっての成長をより安定したものに役立つと思います。

神がご自分に対する愛を新たにして下さいました!神がご自分の赦しを見せて下さり、誘惑や罪に対して、力を与えて下さいました。神様と日本の人々に対して、今まで以上の情熱を下さいました。

〔プレイヤー・サミット(祈りのサミット)で学んだ点〕
1.神との交わりをグループとして深くできたこと
2.祈りのリスポンスで共に祈る方式
3.聖餐式の三様式はワン・パターンからの脱出に有効
4.プログラムなしの集会形式はⅠコリント14:26の実践

メンズ・プレイヤー・サミットで、神はどのように人々をご自分に近づかせ、私たちが日本各地のそれぞれの奉仕に戻り、 より効率的に主を崇め、主に仕えるようになるかを少し理解できれば幸いです。かつて私が思っていたように、奉仕や家族を離れる時間が割けられないと思われ るかもしれません。しかし、もしかして、神と神の民とのこの時間を過ごさない訳にはいかないかもしれません。少なくとも、祈りのサミットは有意義な時えあ ることを確信しています。

マイケル・レサドクルストン

(カナダから来たマイケル師は兵庫県西宮市に奥さんのウェンディーさんと2人の子供さんと一緒に住んでいました。マイケル師は1995年3月から2005年8月まで、関西学院で宣教師/教授として務めていました。)