祈りのサミットとは?

祈りのサミットの意味

「サミット」には2つの意味があります。

  1. 「山の頂上」で神とお会いすること。
  2. 神の国の働きに召された首脳(牧師、宣教師、伝道師)の集まりのこと。

この2つの意味から、教職者(牧師、伝道師、宣教師)が現場を離れ、退いて祈り、神とお会いし、御霊と御言葉の御導きに与かるのが祈りのサミットとしています。

祈りのサミットの定義

「通常4日間の長さの中で、人生を変えるほどの礼拝する場を体験する機会です。一定の地域から来る各教会の指導者がこ れに集います。集まる唯一の目的は、神ご自身と神の義そして神の国とを慕い求めることです。集まる際、神が私達を、謙遜と癒しと一致へ導かれる過程を期待 しつつ、その過程を通して私達の心と思いと召しが一つに結び合わされ、私達が神の祝福に値する者とされることです。」(ジョー・オルドリッチ博士、祈り のサミットの発起人)。

西日本にいる教職者が共に主の御顔を求める時と場所として設けられているこの機会を見逃すことなく、ぜひご参加下さい。

祈りのサミットの歴史

最初の祈りのサミットは1989年2月、ジョー・オルドリッチ博士が米国オレゴン州の州都セーレム市の牧師達と一緒 に行ないました。その祈りのサミットが行なわれるために、色々なことが一つに結ばれていきました。ジョー・オルドリッチ博士が牧師だった頃、彼は何回か 教会の役員達と共に、ただ一緒に祈るための時間を計画し実践していきました。そこでは仕事の話しは一切せず、ただひたすら神と時間を過ごすだけにしたので す。何故なら、博士は、リーダーとは自然に成長するものだと思っていましたし、リーダー達が霊的に成熟していけば、教会全体が成熟していくことを知ってい たからです。

オルドリッチ博士は次のことを問いました:一地域において神の御業を始め存続させるにはどのようにしたらよいのか。 その明確な答えが、その地域のなるべく多くの牧師が、かつて教会の役員達と共に体験したように、一つの場所に集まり、神の御前に来ることにあることは明白 でした。

宣伝もPRもしませんでしたが、その1回目のサミットの噂が広がり、オルドリッチ博士やダークス氏に同じような ことを自分達の町でも出来るように手助けしてほしいと言う依頼が多く寄せられるようになってきました。そして、神様はいく度も、素晴らしい形で臨んで下さ り、個人の人生の中、家族の中、教会や地域の中で大いなる御業を起こしてくださいきました。祈りの運動の始まりです。

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